情報教養研究会 特別連載
国際協力・交流と私(7回シリーズ)
No.0 タイとの交流をめざしたワークショップへの参加を通して
原作:岩滝小学校 宮崎竜也 編集:京都教育大学林徳治

<最終更新日 1999/4/7>
この旅行記は,1998年8月に京都教育大学の林研究室のメンバーを中心としたタイ研修旅行に参加した一人の男性小学校教師が、10日間にわたるタイ訪問を通して,タイの大学におけるワークショップ参加し発表したり、小学校の視察を通して体験した内容について、彼の日記をもとにしてまとめたノンフィクションのレポートである。
8月3日(月)
午後1時過ぎ宮津駅に着く。子どもたちと母が送ってくれた。父もすでに宮津駅に来ていた。偶然三野先生が親戚を見送りに宮津駅に来ておられ、久しぶりに話をした。ちょっと行ってくると言う感覚で行きたいと思ったが、海外となるとやはりまた少し違った気持ちになる。
京都駅に着くとしばらく時間があったので、アバンティに行き、タイの観光の本を買った。単行本を2冊買い、これでしばらく時間がつぶせるだろうと思った。旅行用のトランクに名前をつけていなかったのでかばん屋に行くと名札はないが、トランクを縛る名前付きのベルトを奨められて買った。どうしてベルトが必要なのかよくわからなかったが、トランクを引いている人の9割がベルトをしていた。
はるかに乗ると、1時間で関空につく。地図で見ると宮津から京都よりもよほど遠いのに時間的にはとても近いのが不思議だ。
関空に行くのは初めてである。大きな建物で駅からすぐに空港に行ける。集合の待ち合わせ場所には荷物の1時預かりがあるのでそこでトランクを預け、ぶらぶらする。集合は11時で私が到着したのは6時30分だった。広い空港内はいろんなものがあってうろうろするだけでかなり時間がつぶれた。でも、3時間もするとさすがに疲れて、空港のベンチで本を読み出した。国際線のロビーは暗いので国内線のロビーで本を読んでいた。警備をしているらしい制服を着た女の人が何度も横を通った。
ずっと本を読んでいるのでどうやらあやしまれたらしい。10時ごろ荷物の預かりのところに戻ると、本田先生が来ていた。本田先生は情報教養研究会の事務局長で宇治の中学校の先生だ。黒川さんや真下さん(関西経理学校でコンピュータを教えておられ、林先生の助手をされていた)も合流し、東京の学会(日本教育情報学会年会)に参加しているメンバーを待つ。10時半ごろ国内線で到着する予定である。11時前になってメンバーが全員集合した。林先生(京都教育大学の教育実践研究センターにおられ、情報教養研究会の代表を務める。今度お世話になる指導教官)、赤松先生(関西国際大学の助教授、年は私より一つ大きい)、谷口さん(三田学園の中学部の美術の教師で林先生のもとにいる大学院生)、後藤先生(園部小学校の先生で前期研修生)、中熊先生(大山崎小学校の先生で前期研修生)、筒井先生(小倉小学校の先生で前期研修生。主婦なのでタイには行かない)
いよいよタイの研修旅行が始まる。メンバーの中では一番関係が薄いのが私である。内心10日間をうまくやっていけるかも心配しながら飛行機に乗り込んだ。飛行機に乗るのは新婚旅行以来15年ぶりのことである。ところが身体チェックでひっかかり、再検査を受けた。荷物も筆箱の中のはさみがひっかかって調べられた。思わず緊張する。
飛行機は4日の1時50分に離陸。最初は緊張していたが、何時間も関空をうろうろしていたりして疲れていたのもあってすぐに眠ってしまう。
8月4日(火)
朝、5時30分ごろタイ、バンコク空港に到着。まだ眠い。日本との時差は2時間で日本のほうが2時間早いそうだ。でもいろいろと引ったくりや強盗など怖い話を聞かされていたので緊張しながら待合室に向かう。空港に向かえてきてくれているはずのスヤニー先生(今回のワークショップにいろいろ動いてくれた先生。ラジャマンガラ工科大学の先生だが、今は休職してチュラロンコン大学のドクターコースの学生として学んでいる。林先生とは古くから交流がある)がいない。6時になっても姿が見えず、最初からどうしようかと思案にくれているとスヤニー先生がやってきた。メールでは待ち合わせ時間が6時30分になっていたとのこと。
11人乗りのバス(ハイエースの座席が4列になっている)に荷物と人でいっぱいになりながら、チュラロンコン大学に向かう。バンコクは世界一の渋滞の街ということで、渋滞に合い、約1時間ほどで到着。その間、通る車のほとんどがトヨタ、ホンダ、日産など日本車。高速から見える看板も日本のものが目立つ。
「この国が不況になると日本も不況になると言うのがわかるやろ。」と林先生。
見える景色は日本の京都、大阪と変わらない。ただ金色に光る寺院とタイ語(訳がわからない)の看板が違う。
チュラ大の中にホテルが二つあり、ウィッタヤホテルに行く。1つは一般のホテルでもう一つのウィッタヤホテルは大学の先生やゲスト用のホテルだそうだ。
部屋はよいほうだと思う。トイレは洋式、バスルームはシャワーのみで浴槽はなかった。
朝食は,大学内の教員やゲスト用の食堂でカオパット(やきめし)とトムヤンクン(えび入りスープ)をとって食べる。
タイ料理の代表的な料理だそうだ。カオパットはうまい。日本人が食べても違和感はない。トムヤンクンは辛いがおいしい。すっぱいような辛さで初めて食べる味だった。
朝食のあと、大学の近くをうろうろする。高島屋があり、その横のマクドナルドに入り、アイスコーヒーを飲む。日本のコーヒー牛乳を2倍に濃くしたような味でめちゃめちゃ甘い。
パインジュースを頼んだ人も甘く、パイナップルの缶詰の汁のようだった。東急百貨店バンコク店が開くと少し店内を見てまわった。日本と変わらないが、他は全体に照明が暗く、古い商店街のような雰囲気がある。
昼は,同じ食堂でヌードル(バーミー)を食べる。これもなかなかいけるが唐辛子がたくさん入っていて辛い。食べると顔から汗が噴き出す感じだ。午後は,スヤニー先生の紹介でチュラ大の教授と会う。
私にとって英語はほとんど分からないので,何を話されているかちんぷんかんぷんだったが、林先生の説明では、チュラロンコン大学ではコンピュータ教育について,日本の大学関係者とのワークショップをするのは初めてなので期待していると言うことだった。他にも数人の先生に会い、名刺を交換する。チュラロンコン大学のキャンパスには,たくさんの芝生や木陰があり、日中でも日陰に入ると風が涼しく心地よい。学生は上が白のカッターかブラウスで下が黒。女子学生のほうが多い。スカートは長くてスリットの入ったものや短いものもあり、コースによって制服の形も決められているということだった。出発前、林先生からタイの女性は足がきれいだと聞いたことがあったが、(変なところを見ているなと思っていたが)実際にタイに来てみて同じ思いを持った。同じ東洋人なのに足が長くてスリムな人が多いのには驚いた。生活様式や食生活が影響しているのだろう。そう言えば日本でも若い人は足が長くてスリムな人が多い。
次に図書館を案内してもらった。広い部屋にたくさんの本とパソコンが置いてあった。でもこんなに暗かったら目が悪くなるのではと思うくらい照明は暗かった。
次に中央図書館を案内してもらった。ここは日本でも見たこともないような最新鋭の図書館だった。7階建ての独立した建物で、7階から順に説明してもらった。フロアごとに整理されており、ここでもコンピュータが目的に応じて配置されていた。
ここチュラ大独自のタイ語ワープロソフト(CUライター)も開発されているそうだ。

ホテルに帰ってシャワーを浴び、ラフなスタイルになって食事に出かけた。
大学の食堂ではなく外に出てデパートの中のレストランに入る。
タイ風すきやき(タイスキ)とシンハー(タイビール)を頼む。
帰りに舗道の屋台でウイスキー(メコン)を飲む。
日本のツアーでは決して組むことのない危ない雰囲気と庶民の味を楽しむ。
でも前日からほとんど寝ていないのと疲れで、途中くらいから体が船を漕ぎ出す。
ホテルに帰ってから中熊先生とプレゼンテーションの練習をしようと言っていたが、
中熊先生の部屋で集まって始めるとまもなく記憶が遠くなり熟睡する。
8月5日(水)
気がつくとなぜここで寝ているのか理解できなかった。
よく見ると中熊先生のベッドでねてしまったらしい。
朝の6時ごろ、同室の後藤先生はすでに起きて、プレゼン(発表)の練習をしていた。
夕べあれから、私が寝てしまうと中熊先生は赤松先生の部屋へ行き(林先生がもう休んでおられたので)、
プレゼンを聞いてもらってアドバイスを受けていたらしい。何もせずに寝てしまった私は少々あせる。
5日は午前中から3時ごろまでサイトシーングに出かける。
林先生と赤松先生は、ラチャパット大学のチョークディー先生(林先生と家族同然の付き合いをしている)に
会うためにホテルに残られ、残りの7人で11人乗りのバスに乗って出かけた。
運転手はタイ語しか分からないので、タイ語を少し話せる真下さんとタイは2度目の後藤先生が案内役となった。
行き先はグランドパレス、ワットポー、エメラルド寺院(ワットプラケオ)有名な観光地だそうで、たくさんの人がいた。本物の機関銃を持った兵士が何人もいた。日本語もあちこちで聞こえたので、日本人もたくさんいたようだ。その敷地の大きさとスケールと美しさに圧倒された。日本では金閣寺なども美しいが、その一つだけでなく一つ一つの建物がそれぞれに光り輝いていた。ワットポーでは若いお坊さんに手にお守りを巻いていただいて、聖水をかけてもらった。食事は中国風のレストランに行って、カオパットとトムヤンクンを食べた。
街中は30年くらい前の日本のような貧しさと今の日本のような豊かさが同居しているようだった。今の日本と同じようにビルや店が建ち並ぶところととたん屋根の、風が吹けばつぶれそうな古いオンボロの倉庫のような家が集まるところがあった。車の渋滞はものすごく、その中をたくさんの単車やトゥクトゥクが走り回っていた。バスは3種類あって、新しい冷房の効いた観光バスと窓を開けたボコボコでサビサビの赤いバス、そしてこれも古い緑のバス(これはちょうど市バスのようでドアを開けっ放しで走っており、どこからでも乗ったり降りたりできるようだった。
日向はちりちりと音がしそうなほど暑くまぶしいけれど、日陰は涼しくとても気持ちがいい。雨季だというのに湿気が少なく日本の夏よりも気持ちいい。でもやっぱり暑いので、タイ料理は辛いものをたくさん食べていっぱい汗をかき、いっぱい水分をとって健康を保つのだという。
5時からウェルカムパーティがあり、チュラ大の人やKMTL(キングモンク工科大学)の人が集まった。(10人程度)となりにすわったウドンさんは、同年代の男性で少し日本の単語が分かり、私の片言英語を理解してくれようという態度だったので、コミュニケーションがなんとか通じて楽しかった。
前に座った女の子2人もよく話しかけてくれたけれど、分からずに何度も聞き返したり、とんちんかんな答えを言っているうちに話さなくなり、ただいろいろ食べ物をとってくれるのを「サンキュー」といって食べ、女の子が「おいしい?」と日本語で聞いてくれるのに「デリシャス」と答える繰り返しだった。おかげで腹だけは満腹になった。
夜、ちょっとコーヒーを飲みに行こうということになり、高島屋ビルのコーヒーショップに入る。帰りは昨日もよった屋台(学校らしきところの柵の中に入り、狭く汚いクラブのボックスのようなアパートを通りぬけてグランドのようなところに席がある)でメコンという酒を飲む。
宮崎、本田、中熊、後藤各先生と赤松先生、林先生と黒川さんの7人で行ったが、林先生と黒川さんは飲めないので5人で1本を空けたら帰ろうということになった。空くはずがないと思っていたのに1時間もすればすっかり空いてしまった。しかし、昨日のように睡魔が襲ってきたが、今日は寝るわけには行かない。明日KMTLでワークショップがあるのに、まだ林先生に聞いてもらっていない。また中熊先生の部屋に集まると、赤松先生、林先生も来てくれて、練習が始まった。読み出すと途中でストップがかかり、それはどういうことかと質問がくる。英語の質問がわからないので黙っていると、日本語で言ってくれる。英語で答えようとすると「分からん。日本語で言え」と言われ、日本語で答える。「そう言う時はこう言うんや。」とアドバイスを受け、辞書を引きなおす。中身のチェックはさすがに厳しく、指摘も鋭い。突っ込まれると答えられない。他の人も順に指導を受ける。その中で、自分の発音のチェックに部屋に帰り練習をする。練習が終わったのは2時30分を回って3時前だった。林先生、赤松先生に夜中まで付き合っていただき、お礼を言おうと中熊先生の部屋に戻るがもう解散した後だった。
8月6日(木)
いよいよワークショップの日、6時に迎えがくるということなので、朝シャワーを浴びたりOHPなど使うものの準備をしたりしたので、
2時間弱しか寝ていない。先生も含め全員がそういう状態である。2時間ならよく寝たほうだろう。
迎えがなかなか来ず、やっと来たのが7時30分、それまでずっとロビーで半分寝ながら待っていた。(最初から7時30分と言えば洗濯ができたのに)
バスはKMTLに向かう。バスの中で眠れると思ったら、迎えに来られたラビワン先生がすごい勢いで話され、眠るどころではなかった。
街を抜けてどんどん田舎道になり、湿地帯の広がるところに出た。やっとタイのイメージらしい風景に出会った。人の服装もみすぼらしくバンコクとは違う。家は平屋で海の家に住んでいるような感じだ。KMTLは大変広く立派な建物が立ち並んでいて、まわりは何もないものの、さすがに王立の大学という風だった。朝食は林先生がぜひ学食で食べたいと要望して学食で食べた。吹き抜けのちょうど味わいの里のようなところで自分でおかずを選び、ご飯にかけてもらう。林先生の選んだ春雨のようなものとさつま揚げのような物はとてもおいしく、おかわりをした。
ワークショップの場所にはすでに30〜40人くらいの大学院生(マスターコース)と思われる学生が集まっていた。ところがパソコンは使えてもOHPもなくビデオもなかった。予定外でこれではできないと、大慌てで交渉、大型テレビを持ちこんだりビデオを接続したりでばたばたした中、ワークショップは始まった。そんな時真っ先に動いたのが林先生と赤松先生だった。それを見てぱっと動いたのが後藤先生と中熊先生だった。予期せぬ出来事が起きたとき動けるかどうか、それが実力かと思った。やはり半年間研修された先生と私の違いがはっきりと形として現れたしゅん間だった。
騒然とした中で収拾がつかなくなり、急遽林先生が前に出て話をされた。人をひきつける話と身振り、手振り、ジョークも交え、学生がス―っと引き込まれていくのが分かった。完全にこちらのペースになり、途中の変更はありながらワークショップは進行した。私の出番は午後となった。中熊先生も後藤先生も大ハッスルで自分の持ち味を出し、大変受ける場面もあった。私の出番、林先生が話す中でよいプレゼンテーターは話すだけでなく、受け手の表情や情報を受けてさらにコミュニケーションができる。
悪いプレゼンテーターは紙を見て、一方的に話し、聞き手は寝てしまうと言う話をされたが、私はまさに後者で、マイクを持ち、話しているときに聞き手の反応を見る余裕などなかった。ずっと紙を読み上げ、OHPを見ていた。とりあえず間違えずに話すのが精一杯だった。やっと終わって帰ろうとすると、止められ、質問を受けた。学生はタイ語で質問し、それをラビワン先生が英語で伝えてくれるのだが、どちらにしても分からない。黒川さんが来て通訳してくれたが、質問には答えられなかった。結局ラビワン先生が適当に答えてくれた。分かっていた結果ではあるがくやしかった。
でも、ワークショップそのものは大成功で学長から本とサーティフィケイトという参加証を頂いた。もう二度とない経験だろう。帰りはラビワン先生がまた送ってくれたが、ホテルと方向が違う。サイトシーングしようと言う。もうみんな休みたかったが、林先生が、「一生懸命、接待してくれているのだから答えなければ悪い。」と言われた。ラマ9世の記念館?で庭が大変美しく広々として、ゆったりした気持ちになった。(でもいつ帰るのだろう)
林先生が「これからJAICAの植松先生と食事をする予定だったが、ホテルに帰る時間がないのでこれからみんなで行こう。」と言われた。ラビワン先生も植松先生を知っていて、ぜひ会いたいということだった。
植松先生は、JAICAの仕事でバンコクに4週間滞在しておられた。
北部料理を食べようと車に乗りこんだが、大変時間がかかり、ついたときには8時30分を回っていた。夜のバンコクは人がいっぱいで屋台や露店が並び怪しい雰囲気をかもし出していた。
北部料理もやはり唐辛子がたくさん入った料理だが、南部の料理と違うのは、南部は海鮮料理が中心で北部は肉料理が中心となる。北部料理もなかなかおいしかった。

ホテルへ帰ってからまたいつもの怪しい屋台へ行き、メコンを飲んだ。女性陣は疲れているので部屋で休むということで男ばかりで行った。しばらく飲んでいると、黒川さんが一人でやってきた。
このフェンスの中で怪しいアパートの前を通りぬけてよく女一人で来たなと驚いた。黒川さんは、単身で英語の勉強にイギリスに半年間留学したり、アフリカで寝袋を持っていって野宿をしたりする行動力がある。女性が一人も行かないことを気にしたのか、後から追いかけてきたのだそうだ。
「チュラロンコン大学は,発表時間も少ないし,学生のレベルも高度なので、自己紹介や地域紹介などのプレゼンはやめて,赤松先生と真下さんだけの発表をしよう。」と林先生が言われた。明日のことは心配しないで飲もうということになった。
「今日、一番がんばったのは宮崎や。おまえのためにメコンを飲ましたる。」
と中熊先生と濃い麦茶のような色をしたウイスキーを作ってもらった。それを二人とも一気に飲み干した。日本で飲むウイスキーならのどがやけて絶対そんなことはできないし、やったらすぐに地獄のような頭痛と吐き気が待っているはずである。でも目が回っていたが、すぐ眠りについた。
8月7日(金)
チュラロンコンではレベルが違いすぎるので語学力のない私や前期研修生はワークショップは無理だろうと、今日のワークショップは精鋭で臨むことにすると夕べ言われていたが、朝になって、スヤニー先生に会うと林先生は、
「やっぱり予定通り全員やるぞ。」と言われた。いつもころころ変わる林先生であった。チュラ大のワークショップの部屋に行ってその理由がわかった。立派な講義室で受付もきちんとできており、プログラムがちゃんと表になって出来上がっていた。もう逃げられないという感じである。参加者はドクターコース(博士コース)とマスターコース(大学院)の学生(と言ってもみんな他の大学の教授だったり学校の現役教師だったりする)20人ほどと我々だった。スヤニー先生の司会でワークショップが始まる。KMTLの時とは違って設備に落ち度はない。中熊先生も昨日と違っておとなしいプレゼンである。どうも朝から下痢気味だった私は(どうも前日の北部料理が悪かったらしい)そのころが一番ピークだった。
私の番が来た。昨日はまったく聞き手の顔を見ることができなかったが、今日は少し聞き手を見まわして話す余裕(とまではいかないが)ができた。ドクターコース(つまり地方大学の学科長クラスの人)がいることはわかったが、いることがわかっただけで反応を見るなんてとてもできなかった。

チュラ大では昼食、コーヒータイムともにおいしかった。(KMTLでもおいしかったが)ウェルカムパーティーで見た顔がたくさんあり、その中にはウドンさんの姿もあった。今年の3月まで林研究室にいたというラットリーさんもいた。ワークショップは大成功のうちに終わった。片付けの時、赤松先生のOHPを片付けるのを手伝った。
莫大な量のOHPシートがあるのでうかつに手を出せなかった。それを、
「この次はこんなシート、その次はこいつや。」
とパッパッと指示される先生に驚いた。50枚以上のシートの順番や内容を全部暗記しているのである。
これがワークショップの準備をするということかと自分の準備の足りなさを知った。B5用紙3枚程度の英文が暗記できていないのである。その違いを目の当たりにできたのはラッキーであった。そしてもう一つ、林先生のプレゼンテーションは分かりやすく面白く、ひきつけられるすごいものだった。言語、非言語のどちらもがずば抜けてすごく、チュラ大の学生を完全に配下に置いたような雰囲気だった。

フェアウェルパーティーは我々が主催のパーティーだそうだ。お世話になった人を招待する。スヤニー先生、ワラポンさん、チャランポンさん、もう一人名前がわからない先生、ラットリーさんと我々だった。大学から離れた大きな川沿いの店なので、タクシーに分乗していくことになった。林先生と赤松先生が先に行ってしまわれたので、残された人でなんとかタイ語の分かる人がどちらにも乗るようにしてタクシーに分乗した。私と一緒だったのは、後藤先生、黒川さん、ラットリーさんだった。ラットリーさんは日本語も分かるのでホッとした。フェアウェルパーティー会場まで渋滞していて1時間以上かかった。そのタクシーの中で、私のプレゼンテーションについて、アメリカ人のAETの録音テープを聞いて練習しただけで、言っていることはぜんぜん意味がわかっていないというと、黒川さんが、
「それ分かります。発音はすばらしいけれど抑揚がないです。」
と指摘した。やっぱり分かる人には分かるんだ。
会場に着くと、誰もいなかった。林先生たちが先に出たはずなのにと不安になる。
不安な気持ちで待っていたらスヤニー先生たちが現れた。ラットリーさんにタイ語で「トイレはどこ?」というのを教えてもらう。「ホンナム ユーナイ?」だと教えられ店の人に尋ねると、通じた。トイレに行くと偶然林先生たちを見つけた。フェアウェルパーティーは少ないので気が楽だったが、あとで院生男子1人と女子3人が参加した。考えながら英語を話しているので、そんなにぺらぺらでもないんだなと思った。それでもやはりタイの東大チュラの院生だからレベルは全然違う。明るく積極的である。チャランポン先生が生演奏に急にリクエストをして、「スキヤキソング」を私に歌うように言った。一番しか知らなかったが、でたらめを歌っても分かるのはここにいる日本人だけだと思い、でたらめを歌った。そのあと、中熊先生がドラえもんを歌い、場を盛り上げた。相変わらず話しかけられても意味はわからなかったが、少しだけ聞き取れるようになった。帰りのタクシーの中でも、チャランポン先生、後藤先生、本田先生と一緒だったが、ずっとチャランポン先生が話しかけてきた。三人とも顔ではにこにこ笑いながら、
「オー、何言ってるか分かりませーん。」
という状態だった。ほとんど答えられないままに時々出てくる日本語に反応するのみだった。チャランポン先生は通じないのは自分の英語がまずいせいだと謝ってくれたが、謝るのは英語のできない私たちの方だった。帰ったら11時で、今日はあの屋台に行かず、ホテルで休んだ。
8月8日(土)
今日は、バンコクを後にする。林先生はじめ、みんなが楽しみにしているプーケットだ。朝食をチュラ大のゲスト用食堂で食べてホテルに帰るとスヤニー先生がやってきた。スヤニー先生には何から何まで世話になった。チュラ大の学内ショップで大学のグッズを売っているというので、そこへ案内してもらい、お土産を買った。チュラ大はタイの東大、タイ中のエリートが集まるタイNo.1の大学。そのチュラ大のネームの入ったグッズは記念になる。ただ観光に来たのでは買えない。生涯二度とくることのないであろう場所だからだ。
スヤニー先生と別れ、バンコク空港からプーケットに飛行機で向かった。機内では中熊先生ととなりになり、いろいろ話をした。林先生も赤松先生もフェアウェルパーティーでは落ち込んでいたと言う。私にはその意味がわからなかったが、それはフェアウェルパーティーに人が集まらなかった、つまり敗戦を意味するということだったからだ。もしワークショップがすばらしかったら、ウェルカムパーティーの時のように学部のえらい人がくるだろうし、そうしたら林先生も雨が降っていてもメコンを飲みに屋台に行ったはずだという。
それを気遣う心が研修では必要だという。内地留学と言いながら、大学の縦社会の中の一番下として組み入れられるのだという。ま、それも勉強か。
プーケットまで飛行機で1時間。バンコクとまったく違う景色、田舎の風景だ。チョークディー先生が迎えに来ておられた。トラックの荷台で10人分のトランク(荒木さん(株式会社新学社勤務)という林先生の友だちが空港から一緒だった)といっしょにゆられて田舎町の風景を楽しんだ。途中に雨がぱらぱらと落ちてきた。タイのスコールは半端じゃないと聞いていたので荷台に乗っている私と本田先生と中熊先生は顔を見合わせた。
「これは、カメラだけでも車の中に乗せてもらおう。」
と相談をしていたが、幸いぱらぱらですんで大丈夫だった。
チョークディー先生の家へ行き、休ませていただいた。まだ新しい家でとてもいい家だった。
表札にはチョークディー先生の名前のほかに林先生の名前もあった。家族ぐるみの付き合いで家族同然だという。みんな家に泊まれと勧められたが(9人分の布団が用意してあった。チョークディー先生はそのつもりで用意してくれていたのだ)、結局予定のデンプラザに向かった。プーケットタウンの真中にある中流ホテルで林先生の行きつけのホテルだという。日本人はほとんどいない。あまりきれいとはいえない部屋だが、一人1室とってもらい、ゆっくりできた。ホテルのバスは洋式で浴槽があった。プーケットでは町の人はみんな林先生のことを知っていて顔が利く。どこへ行っても「ハヤチ、ハヤチ」といって話しかけてくる。ご飯もマエポンレストランという庶民的な店で食べ、トゥクトゥク(タイの乗り合いタクシー)に乗ってタイ式マッサージに行った。たっぷり2時間マッサージしてもらった。帰りは市場のようなところでコーヒーを飲み、歩いて帰った。帰る途中、ディスコの前や果物屋の前を通り、街の雰囲気を味わった。観光旅行では危なくて絶対行けないような場所である。酒屋でメコンを買って男全員でホテルで飲み、林先生からタイ語を少し教えてもらった。
8月9日(日)
今日は1日観光の日、やっとゆっくりできると思ったが、そうでもなかった。
朝から計画を立て、チョークディー先生のおいのヌイさんやタム君(日本語が堪能で、日本人旅行客を相手にしたツアーコンダクターのカッコイイ若者)に運転手をしてもらい、観光に出かけた。

最初、ワッチャロン(ワットシャロン)というお寺に向かう。ワッチャロンは徳の高いお坊さんが祭ってあり、そのお坊さんをタイのみんなが愛しているという。後藤先生は霊感が強いのでそのお坊さんのロウ人形からにらまれて、思わず目をそらしたという。美しいところだけど観光客は少なく、タイ人で信仰の厚い人がよくくる場所だということだ。そこで林先生推薦のお守りを買った。そのあとプーケット島を横断してパトンビーチという海水浴場(有名な観光地らしい)に向かった。峠の頂上で展望台にあがるとオーストラリアから来たという男女と林先生が会話をされ、
「一人ずつ英語で、自己紹介をしろ。」
と言われた。観光でも中熊先生に計画の司会(チアパーソン)をまかせたり、真下先生に運転手と英語でコミュニケーションを取りながら案内役をさせたりして、
すぐにプレゼンの実地訓練が始まる。急に言われるとびびるが、少しだけ慣れたというか度胸がついたのも事実である。そこから山を下る途中に象が何頭かいた。観光用のようである。
野生の象は神経質で人間の来ない森の奥にいるということだ。パトンビーチは確かにすばらしい景色で、いかにも観光地といったところだった。林先生は
「ここは日本人がうようよいる。全部観光用の料金でホテルも何もかも全部高い。だから私はここでは泊まらない。」
と言っておられた。海岸に行ってみると、今は雨季なので人が少なかった。それでも西洋人の海水浴客がけっこういて、高い波の中、サーフィンをしたり海水浴を楽しんだりしていた。パトンビーチを離れ、海岸線をドライブして、お昼を海岸のレストランで食べた。ヨットがたくさんあって、エメラルドグリーンの美しい海と木陰、絵葉書の中に入ったようだった。

ホテルに帰ると林先生が,突然散髪に行こうと言い出し、女性はショッピングに出かけ、男性はみんなで歩いてぶらぶらとし、一軒のバーバーショップに入った。2〜30年昔の床屋さんという感じだった。そこに3人のおじさんがにこっとして待っていた。おじさんの頭を見ると耳より下は髪がなかったので、どんなふうにされるのだろうと不安になった。最初、後藤先生、中熊先生、本田先生がバリカンで散髪された。でもサッパリとして悪くなかった。私が座るとおじさんが本田先生の頭を指差して何か聞いた。分からないでいると本田先生が、
「この髪型でええのかと聞いとるんちゃう?」
と言ってくれた。みんな刈り上げだった。そこで店内を見まわすと一番無難なアイドル歌手のようなポスターがあったので、それを指差した。おじさんは苦笑いして肩をすくめ、それでもそのようにしてくれた。お金は80バーツだと書いてあったようなので、100バーツ出すと、50バーツおつりをくれた。歩きながらみんなでお金のことを聞きあうとみんな80バーツという。どうも私はチップを忘れたらしい。

夜はいつものマエポンレストランでご飯を食べた。夜、後藤先生と本田先生とディスコに行こうという事になり、ディスコに行った。でも誰も踊っていなくて音のうるさいパブという感じだった。トイレに行くと若い男が数人おり、用を足すと後ろにきてマッサージをはじめた。タイ式マッサージの簡易版で手を洗うまでマッサージをしてくれ、おしぼりをくれた。どうもチップがほしそうなので、20バーツチップを払った。あまり雰囲気がよくなかったのですぐに出て宿に帰った。(次の日、林先生に夜、勝手に出歩くのは危ないと叱られた)
8月10日(月)
今日は、チョークディー先生の勤めるラチャパット大学(プーケット地域総合大学)でワークショップの日だ。最後のワークショップになる。1回目のKMTLでは原稿から目が上げられず悔しい思いをした。チュラロンコンでは意識して目を上げたが、だれかいるなと感じるだけで表情までは見えなかった。プレゼンは話し手と聞き手がいてはじめて成り立つ。今までのプレゼンは全部こちらのワンウェイだ。最後だから何とか聞き手の顔を見て話したい。朝5時に起きて、練習をした。聞き手を意識しながら話す練習を何度もした。そしてラチャパット大学に向かった。
最初、学長と会った。女の先生で林先生と旧知の仲だそうだ。学長になる前に、日本に来た時、林先生の家で1週間ステイしたそうだ。あとプラティーク先生と会った。教育大に1年間おられたそうだ。そしてワークショップが始まった。中熊先生と後藤先生はOHPのシートを書き換えたりチュラでのエピソードを話したりして私でも分かるほど工夫を加えていた。私は黒川さんのアドバイスを受けてゆっくり、はっきり話した。間を大きく取りながら聞き手を見まわした。そうするとうなずいている人やこちらを真剣に見ている人、目を伏せて聞いているのかいないのか分からない人、教育大のメンバーでうなずいてくれている人が見えた。見えたうれしさとうなずいてくれる人に勇気付けられて3回の中では一番納得がいくプレゼンができた。といってもレベルからいうとやっとローエンドに近づいたかなというところで限りなく0に近いのだが。本田先生もやっと出番が来て、HTMLの講習をした。本田先生は私よりは数段上だがやはり英語ができない。でも原稿は作らずに臨んだ。最後のほうで林先生に質問され、答えに詰まってしまった。長い間沈黙が流れた。ほんの1〜2分だと思うが、
10分にも感じた。それでもなんとかがんばった。

ホテルに帰ってから反省会をした。一人一人がそれぞれの感想(反省)を述べた。私は後期の研修で必須と思っていたタイ行きが実は自由参加だったこと、何度もやめようと思ったが二度とできない経験と思って思い切って来たこと。そして、自分が回りの人と比べてレベルが全然違ったこと、でもそれを知れたり他の人とのつながりができたことで本当に来てよかったと思うことを話した。谷口さんは泣きながら話した。本田先生も涙が出て言葉が出なかった。みんな泣いた。私はジーンと来ながらも泣けなかった。一生懸命やるにはやったが人の手を借りて英訳した。まず、自分でやってからではなく最初から人を頼った。泣けなかったのはそこの違いだ。今度はないかもしれないが、もし今度があれば、つらくても時間がなくても失敗しても、全責任を自分が背負って臨みたい。そして、泣きたい。本田先生は自分が英語ができないのに、わざと原稿を作らなかった。日本で大きなプレゼンをした時、原稿を作って失敗したそうだ。原稿を読んでしまって失敗したから今回は原稿を作らずに臨んだそうだ。向かう姿勢が私とは全然違う。だから泣けた。林先生からは、みんなよくがんばったと評価を受けた。
3校とも「サーティフィケイト」という参加証をもらった。これは公的なものだ。タイ.No.1とNo.3の大学で、そしてプーケットでもらったサーティフィケイト。これは望んでももらえない。ワークショップは、自己紹介や交流ではない。公的な講習会だ。だからサーティフィケイトに見合うだけの内容がいる。サーティフィケイトは大変重いものだと林先生から言われた。その通りだ。私はサーティフィケイトをもらう資格などなかった。なのに3枚ももらった。その3枚がものすごく重かった。
8月11日(火)
今日は、楽しみにしていたエレメンタリースクール(小学校)の見学だ。学校名は,アヌバーン小学校といいプーケット市内の公立の大きな小学校だった。この小学校は、今回エデュテイメントフォーラムで電話回線を利用した遠隔授業を行った学校である。チョークディー先生が手配してくれた。一人の校長先生と四人の副校長がいる。タイの子どもたちはみんなかわいい。
両手を合わせてちょこんとあいさつをしてくれる。こちらがあいさつするととてもうれしそうに笑った。こちらからあいさつするとどの子も真剣な顔をしてパッとあいさつをしてくれた。教室をのぞくとみんな興味津々の顔をしてこちらを見ていた。後藤先生が簡単にプレゼンをして子どもたちの前で剣玉を披露した。後藤先生は夢が一つかなったと言っていた。私も何かやりたいと言う気持ちになった。学校の中をくまなく歩き、ていねいに説明していただいた。林先生が、
「日本の学校とは全然違う。日本では何だかんだ言ってろくに対応もしない失礼な学校が多い。」といっておられた。言われてみれば、外からの客に対し、そんなにていねいに対応した記憶がない。それが当然と思っているふしがあった。立場が変わると気づくことが多い。

見学の途中に雨が降り出した。バケツをひっくり返したではすまないすごいスコールだった。
「これがタイのスコールか。」
外にあったバケツが1分もたたないうちにあふれだしていた。すごい音で授業にならない。そんなことはしょっちゅうあるそうだ。雨は1時間ほど降り続いた。帰る時は道路が川になっていた。止めてあったバイクのタイヤの下のほうは見えなかったので、少なくとも道路には10センチ以上の水がたまっていた。動かなくなる車もあった。赤松先生に今日のスコールはどの程度のものか尋ねると、かわいいもんだといわれた。がけはくずれ土砂が道路にたまっていたが、よくあることだそうだ。昼はプラティーク先生とアマンダ先生がいっしょに食べようと大学の近くの店をセットしてくれていた。駄菓子屋のようなところの奥で、決してきれいには見えないが、味はおいしかった。
ホテルに帰ると疲れていたが、ショッピングに出かけた。タイシルクのフォーチュンという店でお土産を買った。ここも林先生の行き付けで、他のお客よりも安くしてくれた。
夕食は、チョークディー先生と奥さんのヌイさん、ヌイさんのお母さんを囲んで、いつも食事するマエポンレストランでフェアウェルパーティーを開いた。みんなからのプレゼントをヌイさんに渡した。林先生が、チョークディー先生がこれだけ親身になってくれるのは、私がこういうふうに気配りをしてちゃんと応えてきたからだ、気配りのない人間はだめだと言われたことを思い出した。チョークディー先生はタイ語と英語しか話せない。私は英語もタイ語も話せない。だけどチョークディー先生は9人もメンバーがいて、私が一番なじみがなく、目立たないのに「Tatsuya」と名前を覚えて話しかけてくれて、いつも受け入れてくれるあったかい先生だ。チョークディー先生といると、心がぽかぽかとしてくる。英語を真剣に勉強してこんなすばらしい人たちと言葉が交わせたらどんなに幸せだろうと心から思った。楽しくてあたたかいフェアウェルパーティーだった。そのあとみんなでカフェに行った。カフェでは女の人が交代で歌を歌っていた。タイの演歌のようだ。ゆったりとしたリズムでのどの奥から声を出して柔らかく歌う。眠くなってくる気持ちのいい歌だった。
そのあと、林先生たちはタイ式マッサージに出かけ、私と中熊先生と後藤先生は部屋で酒を飲んだ。長期研修についていろいろ話を聞いた。研修中の苦労が感じられた。12時ごろになって林先生たちがもどってきた。タム君も来た。タム君は,タイにいる間、林先生とよく行動をともにした友だちだという。日本語はべらべらでしゃれもよくわかっていた。みんなでいろいろ話して午前1時過ぎに解散した。

8月12日(水)
もうタイ研修旅行も残り2日となった。明日は帰るだけだから、実質今日がプーケット最後となる。このタイ研修旅行で得たものは計り知れない。だけど得られなかったものの方がはるかに多いのが気になった。林先生はこの研修旅行ではそれぞれが得るものが違うという意味のことを言われたことがある。それがよくわかった。キャパシティの差なのだ。学ぶものは周りのあちこちにあって、それが毎日、自分たちに滝のようにふってきている。だけどそれを受け止めるキャパシティが大きい人はどんどん吸収してより大きくなっていくが、私のキャパシティは小さいので自分のキャパシティとしてはいっぱいになってあふれているものの、そのあふれてこぼれていくものの貴重さと量が残念でならない。自分のキャパシティをもっと広げて、もっと多くを得たいという気持ちになった。
今日の朝の集合は10時、初めてゆっくりした気分になった。いつもの店で初めておかゆを食べた。なかなかおいしい。そのあとロビンソンというデパートに出かけた。前に来たディスコが目の前にあった。タム君に聞いたところでは、あまり雰囲気がよくないディスコで、この間もけんかがあったそうだ。あとから聞いてぞっとした。ロビンソンはジャスコなどと同じようなショッピングセンターで中央が吹き抜けでエスカレーターが周りにある。造りはバンコクでも日本でも一緒だった。日本語で書いてあったら、ここは日本だと言っても通じるようだった。そこでこの前フォーチュンでお土産に買った錫製のカップがあった。確かフォーチュンでは560バーツで買ったが、ロビンソンでは990バーツで売られていた。タイでは定価が書いてあることは少ない。1バーツが約3.5円である。特に観光地では人を見て値段を決める。特に日本人は高く売られる。そうしないとタイ人の生活はどん底なのだ。日本の感覚でいくとそれでも安い。お互いに得をした気分になるのだ。
試しにデンプラザのマッサージに中熊先生だけがいくらか聞きにあがると2400バーツでそれ以上はまけられないと言われた。でも林先生につれていってもらったところではタイ人価格でOKで500バーツ、チップの200バーツを入れても700バーツだ。日本人だと3倍以上吹っかけられて安いと喜んでいる。それでもこんな経験をしなければやっぱり私も安いと思いながら日本人価格で買い物をし、
観光バスに乗るのだろう。ここでは林先生を知らないタイ人はいない。結構危なそうな人でも林先生の顔を見るとにやりと笑って手を振る。まさに地元だ。そんな林先生についてきたからこそこんな経験ができた。自分では一生できない経験だろう。
午後は林先生が車を借りてきて、パトンビーチに遊びに行った。トラックの後ろに乗るのもこちらではOK。気持ちがいい。少し雲行きが怪しいのが心配だったが、大丈夫だった。パトンビーチに着くと、少し雨が落ちてきたが、林先生は、
「マイペンライ(気にするな)」、
「パンツで泳ごうか」
と林先生、Tシャツを脱いで泳ぎ出した。本田先生と中熊先生が続いたが、私は海岸で貝殻拾いをした。小さいけれどきれいな貝殻があった。帰りに山の中でゴムの木の林があった。そこで車を止め、ゴムの木を見た。木にナイフで傷をつけ、その汁をやしのみで作ったおわんに集める。白くて伸縮性があり、ほとんど性質的には輪ゴムのようだった。そのあとカロンビーチの海沿いにある出店でカニとあめを竹の葉でくるんで焼いた甘いおやつ(ごへいもちのような)を食べた。客はほとんどタイ人の家族で日本人はおそらくこんなところには来ないだろう。
トイレに行きたくなった。屋台の親父に「ホンナムユーナイ」と聞くと、道路を隔てた店を指差した。そちらへ行くとドラムと客席が作ってあり、ライブをやるようだ。そこに小さな子どもを抱いたタイ人の男がいたので、もう一度トイレを聞くと、タイ語で何か言った。わからない顔をしていると、手でぺけを作った。だめだと思い、帰ろうとすると、呼び止められ草むらでやれと言われ(たようだった)、草むらに入ってした。
帰ってきてシャワーを浴び、しばらく休んで食事に行った。マエポンレストランで名刺をもらって帰った。だんだんタイの味に慣れてきた感じで唐辛子をドバッと入れるようになってきた。夜、林先生が買ってきたマンゴスティンもおいしかった。
8月13日(木)
いよいよプーケットともお別れの日だ。朝10時にロビーに集合してマエポンレストランに朝食を食べに行った。タイのおかゆがおいしい。前半の超多忙なスケジュールがうそのようにボーっとしてきている。でもそれが本当のタイのペースなんだそうだ。きっちりきっちりしていなくても、マイペンライで笑って済ませる。レストランで数を間違えたりすることもしょっちゅうなので、こちらがきちんと数を確認し、レシートも確認する。この間ずっと林先生と赤松先生はレシートをしっかり確認してからお金を払っておられた。今日はタイ式マッサージの店のクンさんと会う約束になっているようで11時30分にホテルのロビーに集合となり、私は林先生と赤松先生、中熊先生、谷口先生、本田先生、黒川先生と車で散髪屋に行った。中熊先生と谷口先生が散髪をした。11時30分にクンさんが来て、クンさんの家に向かった。クンさんの家はごく普通の民家で小さな家だが、とてもきれいに片付いていていい感じだった。まず車庫がありその奥に居間と寝室、台所とバストイレがあるだけの小さな家で奥には小さな庭があった。居間には大きな水槽と仏壇があった。
ここでもフルーツをごちそうになった。フルーツは今が旬で12月には何もないそうだ。日本と家の造りは違うが狭苦しいところにたくさんの人が住んでいるのは似ている感じがする。トラックの荷台で動き回るのは暑いが、風が気持ちよく、町の空気を感じることができるので快適だ。その後、市場の屋台でバーミー(ラーメン)を食べようということになったが、屋台がしまっていたのであちこちおいしそうなところを探し回り、タイ式マッサージの前の店でラーメンを食べた。店と言ってもやっぱりふきぬけで外と一体となっている。そこで唐辛子をふってバーミーを食べるのだから汗がどっと吹き出る。それでもクーラーより風がすごく気持ちよくて快適なのが不思議だ。私と後藤先生、中熊先生、谷口先生はホテルに帰って荷物整理と休憩、他の人は最後にタイ式マッサージに行って3時に集合となった。
プーケット空港に、ラチャパット大学の学長が見送りに来ていた。学長からラチャパット大学のマーク入りのキーホルダーを頂いた。学長から直接頂いたものなのでこれも記念になる。チョークディー先生に肩をたたかれ、本当に今度くる時はチョークディー先生ともっともっと話したいと思った。
飛行機でバンコクに飛び、3時間空港で待って、日本行きの飛行機に乗った。その間、今回のタイ研修旅行について振り返ってみた。本当に来てよかった。何から何まで勉強になった。特に、自分のキャパシティからあふれてこぼれていくものについて考えることができたのは大きな収穫だった。またこの旅行中お世話になった大学のメンバーの方やタイの先生方、食堂のおばちゃん、学生の皆さん。旅行中触れ合ったほとんどの人が何かをいつも教えてくれたと思う。それに答えられるようがんばっていこうと思う。
関西国際空港に着いたのは朝の7時30分。
「とうとう終わりましたね。」
「今日から日本ですね。」
中熊先生とそう言葉を交わした。タイにいる10日間があまりにも日本と違いすぎて、それを一言で片付けられない。学ぶことがあまりに多すぎて、未消化の状態のまま日本に戻ってきてしまった気がするからだ。まだタイにいてもうしばらく暮らしてみたいという気持ちと、日本に戻って自分のしなければならないことが少しずつ見えてきて、とりあえずそれをやりたいという気持ちとが混ざり合っていた。中熊先生も同じような気持ちだったのではないか。
関空でみんなでお茶を飲んだ。もう、本田先生は情報教養研究会のホームページの話、後藤先生や中熊先生は22日にせまっている研究会の話、林先生や谷口先生はゼミの話ともう次のことがいっぱい待っている。
関空からみんなと別れて、後藤先生と二人ではるかに乗り込んだ。みんなはバスで帰るそうだ。後藤先生は家が園部なので、一緒に帰った。はるかで帰ると京都駅まで1時間だが、費用は3600円ほどかかる。バスだと2時間で2200円ほどだそうだ。京都駅から先が長い私と後藤先生ははるかを選んだ。そして、いろいろと思い出話をしながらそれぞれの家にたどり着いた。
(おわり)
今回のタイ研修旅行の概要
〇目 的 国際理解・協力としてのタイ教員や学生との交流
〇対 象 タイ国立大学教員・学生
〇日 時 平成10年8月4日(火)〜14日(金)
〇会 場 [Bangkok]
King Mongkut's Institute of Technology
Ladkrabang(キングモンク工科大学)
Chulalongkorn University(チュラロコン大学)
[Phuket]
Rajabhat phuket(プーケット教育大学)
〇参加者
林 徳治 (京都教育大学)
赤松 辰彦 (関西国際大学)
谷口 由美子(三田学園)
本田 慶裕 (宇治市立西小倉中学校)
真下 知子 (関西経理学校)
黒川 マキ (関西経理学校)
中熊 貴史 (大山崎町立大山崎小学校)
後藤 昌則 (園部町立園部小学校)
宮崎 竜也 (岩滝町立岩滝小学校)
〇日 程
8月3日(月)午後11時 関西国際空港4階Hカウンター前 集合
【第1日目】8月4日(火)
関西空港 発 TG775 1:50
バンコク 着 5:35
【第2日目】8月5日(水)
【第3日目】8月6日(木)
バンコク 観光 → 会場下見
【第4日目】8月7日(金)
ワークショップ(チュラロコン大学)
Farewell Party
【第5日目】8月8日(土)プーケットへ移動
バンコク 発 TG211 13:00
プーケット 着 14:20
バンコク・ワークショップ反省会
【第6日目】8月9日(日)
プーケット 観光
Welcome Party
【第7日目】8月10日(月)
ワークショップ(プーケット教育大学)
プーケット・ワークショップ反省会
【第8日目】8月11日(火)
プーケット 観光
【第9日目】8月12日(水)
プーケット 観光
Farewell Party
【第10日目】8月13日(木)帰国
プーケット 発 TG218 19:10
バンコク 着 20:35
バンコク 発 TG622 23:59
関西空港 着 7:30
(8/14)
8月14日(金)午前8時
関西国際空港1階国際線到着口前 解散
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