毎年、4月の総会の時に新しい会員の方々をお迎えします。その際、新会員の方々が、老若男女が入り混じり、さらに、教員以外にも様々な業界のゲストをお迎えするので、よく“この会は、どこではじまって、どんな集まりなんですか?”との質問が寄せられます。
そこで、昔の研究会の発足当初のことをお伝えできるように、以前、連載していました「ICA今昔物語?〜?」(2004年8月発行「17号」〜2005年2月発行「22号」より抜粋)を掘りおこしてまとめてみました。なお、続編は、「続・ICA今昔物語」(2005年9月発行の第25号〜)をご覧下さい。

【後列左から】沖裕貴、林徳冶
【前列左から】」荒木仁夫、寺田肇、藤本光司、本田慶裕(敬称略)


ICA今昔物語【1】:「ハ・ヨ・オ・ク・ヨ・ロ」 藤本 光司
 ※2004年8月発行「17号」より


 市教委に赴き半年が経ちました。現在、教育研究課という所に所属しているのですが、実はココは、本会代表の林先生が所属されていた教育研究所が移行した部署なのです。そんな由縁もあって、今月号から3回程度に渡り、現在の「情報教養研究会(ICA)」になるまでのいきさつをご紹介したいと思います。
 私が教職に就いたのが今から20年程前になるのでしょうか。当時の研究所は、懐メロでいう「3畳一間の小さな下宿・・・(かぐや姫、「神田川))」のように、ガタガタ響き渡る馬鹿でかいプリンターと、ペラペラ8インチ仕様(FD)のPCが数台配置された10畳一間のイメージが記憶に残っています。私の新任から5年間は、その狭いけれど、アカデミックな研究紀要が並べられた部屋で授業実践や研究論文の積み重ねていたように記憶しています。
 現在、私の働いている建物は、バブル期に構想され、平成4年に新築された3階建ての立派な建物です。場所は本庁の対岸で、スポーツセンターと福祉センターを両脇に抱え、晴れた日は六甲山系を見渡し、武庫川のせせらぎに心癒せる自然豊かな場所に移転しました。今では、四つの課を統合した教育総合センターと改名され、人も設備も変わりましたが、昔から変わらないのが電話番号です。現在でも当センターの代表番号は、当時の「84−0946」“ハヨ、オクヨロ”です。この呼び名については、誰が考えたかは定かじゃありませんが、当時から、「仕事を早く終えて、お山の上にある研修所(当時、御殿山)に集まりましょう」というのが合言葉でした。私も仕事を終えポンコツGOLFをうならせて、きつい坂道にある研究所に向かったもので、林先生もよく故障するBMWをこよなく愛し、ドイツ車三昧談を時々講じていたように記憶しています。
 そんな、宝塚のお山に、「コンピュータを使った教育を進めようとしている指導主事がいる・・・」と、他市や出版社から集まってきた人たちが、泉、沖、荒木といった人々でした。(つづく)


ICA今昔物語【2】:「CAI教材開発研究会からICA結成へ」 泉 廣治
 ※2004年9月発行「18号」より


 私の手元に「うす緑色」の小冊子があります。タイトルは『コンピュータの教育利用への取り組みに関する実践』というタイトルで、平成元・2年の取り組みをまとめたものです。この小冊子の発行をお世話いただいたのも、新学社の荒木さんでした。「何とか作ってよ」と、いやがる荒木さんに無理を言って渋々作ってもらいました。といっても、一度、酔わせれば「わかりました」との返事でしたが。
 この小冊子には情報教養研究会以前の活動が残されています。少し内容を紹介します。
 第1稿は、藤本先生、林先生連名の『技術・家庭科「情報基礎」の実践事例』。CAI教材開発研究会が開発した、統合型学習ソフトウェア『イマジン』を活用した実践です。1枚のフロッピーディスクに納められたこのソフトは、キー操作練習(モグラたたきやUFO撃退ゲーム)、ワープロ、グラフィック・エディタ、スプレッド・シート、データベースの基礎が学べるもので、林先生のコンセプトが学会にセンセーショナルを巻き起こしました。当然、「これが情報教育か!」との批判の大合唱を浴びたことは言うまでもありません。情報教育でプログラミング教育を真剣に実践していた大学の附属中学があった時代に、コンピュータ活用のイメージを育てることに焦点をおいた実践でした。
 しかし、イマジンと同じコンセプトで、スズキソフトが大もうけしたことはご存じの通りです。「宝塚の林はおもろいな。いっぺん顔を見に行こう」と御殿山の宝塚市立教育研究所を訪ねたことを思い出します。実際、変わった人でした。
 第2稿は小生の『現職教員を対象とした情報教育研修の取り組み』。不登校対策プロジェクトの特命を受けて入った教育委員会で、触ったこともないコンピュータの教員研修をするとは夢々思いませんでした。先述のイマジンを使った活用イメージ育成とFCAIによる学習コースウェア作成を取り入れた教員研修をしていました。「パソコンは学校として、どのような教育をしたいのか」という考えを増幅してくれるにすぎない」と真剣にコメントをしていることに笑ってしまいます。当時は、コンピュータが教育を変えるとのキャッチフレーズが飛び交っていました。今では、だれもそんなことは言いませんね。
 第3稿は寺田先生の『教科指導におけるコンピュータ活用の事例』。「酸性の水溶液に共通な性質」や「大地の変動シミュレーション」など、理科分野の授業で活用できる多くの斬新な学習コースウェアを作成し、個別学習の展開や一斉授業でのシミュレーション活用に取り組んでいます。コンピュータ教材は教師が作るもの、教育の素人である業者のソフトなど使えないという時代でした。コンピュータの教育利用は「コンピュータマニアの教師が好きでやっている範疇」との偏見を払拭することを訴えています。
 私も現場では「コンピュータの前に座っている暇があったら子どもとしゃべれ!」と吐き捨てた経験があります。今では笑い話にもなりません。
 第4稿は沖先生で、『中学校教育課程編成を支援するパソコン活用の実証的研究』。時間割作成プログラム「金時」、授業時数集計システム「TIMEPLUS」という超大作を世に出し、コンピュータの校務支援分野に一石を投じました。教師もコンピュータに「触れ・慣れ・親しむ」段階を経なければコンピュータの教育活用はないと指摘し、コンピュータは教師を支援してくれる有効な機器であることの証明を試みていました。
 兵庫県立教育研修所で開催された近畿地区教育研究所連盟「研究大会」で、はじめて沖先生を見たときの「すごい奴やなー」という印象は今も忘れません。
 そして、当時、鍾馗さんのような風貌の宮田先生やファッショナブル藤本先生、ダンディー本田先生との出会いもこのころでした。谷口先生とも林家主催忘年会で出会いました。
 また、西之園先生開発の日本語プログラミング言語「Mind」との出会いもありました。もう、「Mind」を知らない方がほとんどでしょうが。
 振り返ると、私も32歳でしたので意欲だけはありました。「情報教育への期待!学校の情報化が教育の在り方を見直す契機となる!情報教育の阻害要因は教師である!」そんなことを、実践を通して真剣に訴えていました。
 林先生が宝塚市教委から京都教育大学へ転身したのを期に、たまり場が京教大教育研究指導実践センターの2階へと代わっていきました。そこに京都府の内地留学の先生方が加わり、情報教養研究会の誕生へと進んでいくこととなりました。一方、兵庫県は衰退の一途をたどり、今では藤本・谷口先生と私のみとなってしまいました。
 その頃から、飲み会をしたいがための研究会が、真剣に研究活動をする研究会へと変貌していきました。今でも、総会の後などに、数人がこっそりと消えていくのも、そのころの名残でしょう。消えていった連中は、必ず近くの居酒屋に集まっているのです。(つづく)


■ICA今昔物語【3】:「夜空の向こう」 沖 裕貴
 ※2004年10月発行「19号」より

 
 今から13年前(1991年)の夏から冬にかけて、林先生がタイのスラタニに専門家として派遣されていた頃のことです。
 私は、現ICA会長の泉先生、現宝塚教育総合センターの藤本先生、そして元宝塚教育総合センターの寺田先生、現宇治市教育委員会の本田先生、新学社の荒木さんと、何度も何度も梅田界隈や京都で飲んだものです。ICAの母体となるCAI教材開発研究会で、中学校技術家庭科「情報基礎」の副教材(「情報基礎ノート」)を作ることになり、そのコンセプトについて侃々諤々と議論を続けていたのです。研究会に引き続き、(毎度お約束のように)酒の席が始まっても、議論は収束するどころか、ますます熱を帯び、泥沼にはまっていったのを思い出します。
 「もう技術家庭科なんて必要ないのと違うか」「コンピュータの技術なんて日進月歩やから、プログラムやワープロの打ち方なんか教えてもしゃーないで」「いっそのこと、情報基礎全部をモラル学習や道徳にしてしまったらどうや」などと、過激な発言が次々飛び出しました。しかし、結局、新学社で売るためには、どのメーカのコンピュータでも使え、当時の情報基礎で学ぶことが期待されている内容をワークブック風にまとめた副教材ができあがりました。今から思えば現在の高等学校の「情報」の教科書と、ほとんど同じ内容になったと思います。
 ただ、当時を振り返って、今と根本的に異なることがひとつだけあります。それは、ネットワークの普及度です。当時も、パソコン通信があり、専用のネットワーク回線を張り巡らせて、学校や公共施設を結ぶ構想が盛んに議論されていました。京都でも、現京都府総合教育センターの川野先生を中心にNEWTONというパソコン通信ネットワークが稼働していましたし、PC-VANやNIFTY-SERVEといった商用パソコンネットワークも、かなりの普及率を誇っていました。ただ、1995年を境にして爆発的に普及を始めたインターネットについては、私たちはまだその存在すら知りませんでした。
 そして、あの当時、「情報基礎ノート」に書き込む目的でコンピュータの種類を議論していたときのことです。汎用コンピュータにスパコン、オフコン、ミニコンにパソコン、マイコンなど、横文字の短縮形をずらりと挙げ、「コンピュータの仲間たち」と紙面で紹介したのですが、今後、子供たちが社会に出たとき、コンピュータはどんな形で普及しているだろうと議論が始まりました。誰しもが、すでに当時市販され始めたザウルスなどのモバイルコンピュータを思い浮かべ、腕時計型パソコンやパーム型パソコンになるだろうと言ったものです。ところが、それが、○○パソコンや□□コンピュータという名前で呼ばれずに、「携帯電話」と呼ばれるようになるとは、誰一人予想していませんでした。
 「職場で各自の机の上にコンピュータがあり、ネットワークに接続されている環境で仕事をするようになるのは、いったいいつになるのかな」「子どもたちがコンピュータをまるでノートや筆記用具のように使って、勉強や調べ物に使える時代はいつ来るのかな」と、情報教育を推進し始めた頃はよく夢想したものです。そのためには、ワープロの打ち方を覚えたり、データベースの基礎を学んだりなど、扱いにくいコンピュータの基礎を早めに教えておく必要があるだろうと、当時は何の疑いもなく考えていました。まさか、「電話」を親指で操ってメールを送ったり、インターネットにつないで検索をしたり、掲示板に書き込んだり、音楽や画像のダウンロードや切符の予約をしたり、写真や動画を撮って送ったりできるようになるなど、本当に予想さえしていなかったのです。
 そして、時代はそれから13年。ユビキタス社会は、私たちの期待したとおりの社会になりつつあるのでしょうか?SMAPが「夜空のムコウ」で歌ったように、あのころの未来に僕たちは立っているのでしょうか?携帯電話のモバイルコンピューティングに一日の大部分を消費している子どもたちを見聞きするにつけ、ちょっと複雑な気持ちにさせられるこのごろです。(つづく)


ICA今昔物語【4】:「輪の広がりに感じる」 荒木 仁夫
 ※2004年11月発行「20号」より


 現行のひとつ前の指導要領が正式に告示されたのが1989(平成1)年3月15日のことでした(施行は1993年)。現行指導要領の目玉が「総合的な学習の時間」だとするなら,当時のそれは「情報基礎」だったでしょう。技術?家庭科の領域のひとつとして設定されること,おおよその指導内容等は告示前からわかっていたので,わたしの会社では「技術?家庭資料集」という教材で,実施に先がけて?情報基礎?の学習内容を紹介しようということになりました。そのとき著者として紹介されたのが教育研究所時代の林先生です。何度かの御殿山詣でを経て告示と同年の1989年には最初の資料を発行しています。
 ただ,「情報基礎」は技術系列の中の選択領域であり,教科自体が今日のように男女が同一の学習をするようには構成されていませんでした。OSはMS-DOSであり,やっと日本語が使えるようになった状態での導入で,指導者の熱の差も大きかったと思います。ちょうど,「総合」の場合と同じで,実施前のにぎやかさに比べて実施後はあまりにも静かであるという点も類似しています。
 「情報基礎」資料は1991年版でも,林先生のご協力で改訂しました。その間,例の“輪”によって沖先生,泉先生たちとの知己を得ました。先に紹介された報告書や「情報基礎ノート」の発行のほか,各地で研修会等を行ったことが忘れられません。また,林先生が京都教育大学に移られてからは,内留の先生方との交流を得ました。ついでにいうと,林先生が海外派遣でつくられた“輪”にも参加させてもらっています。いろいろな活動の度に,林先生のつくる“輪”が広がっていくのを目の当たりにしましたが,それは“輪”のごく一部を垣間見たにすぎません。
 さて、いよいよこの企画も次号(Part5)の本田先生で最終回の予定です。


ICA今昔物語【5】:「会員相互の積極的な情報交流を願って!」 本田 慶裕
 ※2005年2月発行「22号」より


 林先生が活動の拠点を宝塚から京都教育大学に移された時、そこで内地留学の研究生として、お世話になっていたのが縁で、私の事務局長の姿があります。
 当時の様子は、既に泉先生や沖先生の原稿の中で描かれていますが、内地留学でお世話になっていた時も、現場に戻ってからも、林先生と行動するのは、いつも深夜だったという印象があります。学校での勤務を終えてから、深夜まで、方々へ出掛けては、空が明るくなりかけた頃に、自宅まで送っていただいたことが懐かしく思い出されます。
 さて、京都教育大学で林先生のところに集まってくるメンバーが実践を交流できる場として誕生した情報教養研究会も、徐々にメンバーが増えたことにともない、会員間の情報交換と外部への情報発信のために、ホームページとメーリングリストを作らせていただいたことが、私が事務局長としてさせていただいた唯一の仕事と言えるかもしれません。当初は、私用のプロバイダにホームページを置いていたのですが、その後、ドメインを取得し、http://www.ICA-j.org で公開するようになりました。
 その後、林先生が山口大学へ異動されると、会員が集まれる機会が、めっきり少なくなってしまいました。そこで、なんとか会員相互の情報交換を進めようと、ホームページを掲示板形式に変更し、皆さんから自由に書き込んでいただけるようにしました。ところが、全く書き込んでいただけないのです。掲示板の中で、いろいろな情報を交換し、話題が盛り上がれば、研究会で集まって議論することが理想だったのですが残念です。メーリングリストICA@freeml.comでも同じような状態が続いています。
 そこで、藤本先生にお世話になって研究会のメールマガジンを発行していただいているのですが、こちらも、発行にたいへんご苦労いただいている状況です。会員のみなさんからの積極的な情報提供をよろしくお願いいたします。
 今回連載した今昔物語は、いわゆる第1世代が中心でしたので、次からは、原田先生を中心に、「続・今昔物語」を企画しています。多分、野口・松谷・宮崎・和田・筒井・中熊・高橋先生などからタイ研修やエデュテイメントフォーラムなんか「今だから言えるエピソード」が聞けると思います。乞うご期待下さい!